2015年03月24日
終わりました
昨日、父の告別式から火葬まで
滞りなく無事に終わりました
お天気にも恵まれ
予想外にたくさんの
会葬者の方々にお越し頂き
持ちきれないほどの
お花の山に心からの
感謝の気持ちでいっぱいです
今日は、東京から
帰ってきてくれていた
弟くん夫婦を見送り
父がお世話になっていた
施設の片付けに行ってきました
最後に遺族代表挨拶で
話させていただきました内容を
思い出せる限り記録して
父に関する日記を
終わりたいと思います
(本番はところどころ飛ばしてしまいましたが^_^;)
「小学校の教員だった父は、死ぬまで教育者でした
子どもの頃は、自分の参観日や運動会に
来てくれない父に寂しい思いもしましたが
それでも、家に帰ると私たちきょうだいに
アマガエルのお土産を持ってきてくれたり
一緒に歌ったり踊ったりギターを弾いたり
ハーモニカを吹いたり、ノンビリ晩酌したりと
とても優しい父でした。
そして明け方になると、父の部屋からカリカリと
毎朝ガリ版の音がするのが常でした
教頭・校長になってからは
その忙しさにも拍車がかかり
年の離れた弟は少し寂しい思いもしたかもしれません
その分、父の60歳の誕生日に家族みんなで
こっそり計画した還暦サプライズパーティでは
「これからはおまけの人生、家族に感謝して生きます。」
と、言ってくれました
その言葉の通りなのかどうなのか?
退職した3年後の2006年5月31日一回目の小脳出血
家族みんなを呼び寄せ、一緒に心配させてくれました
まだ小さかった孫たちには、毎日の病院通いでも
病院の窓際で立って宿題が出来ることを
教えてくれました。
退院後は自宅で自分なりのリハビリの励み
頑張れば後ろ歩きがまたできるようになったこと
頑張れば片足で立てること
頑張れば失った音感もまた取り戻せること
を家族に教えてくれました
その後も、何度も倒れて
緊急入院しては
家族に心配をかけてくれました
そして2011年4月23日の二回目の小脳出血
人工呼吸器を付け、脳からドレインの管を出し
意識も戻らない姿に家族一同最期を覚悟しましたが
それから、意識が戻り、徐々に手も動くようになり
片言から言葉も出るようになり、字もかけるようになり
いつの間にか、嚥下も出来るまでに回復してきました
家族がついていたら、食事を出してもイイとの
病院側の言葉に対抗するかのように
一日も休まずに父の食事時間に
必ず家族が誰か付き添って、食事をさせ
そのうち自分でソフト食が食べられるまでになったのは
家族にとってかけがえの無い思い出です。
中学生だった娘がヒトリでバスに乗って
食事の介助に行ったこともありましたね?
家族みんなの悲願でありました
一度、自宅に帰るという夢も
叶うということを教えてくれました
その次の年の誕生日には
大好きだった堀切峠に家族みんなで
ドライブして、オヤツも食べましたね
最期に倒れてから十数回
今夜がヤマかもと
家族全員召集が何度もありました
昨年の夏に誤嚥性肺炎で入院してからも
諦めなければ、まだまだ大丈夫と
治療をするたびに不死鳥のごとく
よみがえってくれました
年末年始も、お正月が迎えられないかも?
と主治医の先生に脅されながらも
諦めなければ大丈夫なことを教えてくれました
それが、今回ばかりは
残念ながら間に合いませんでした
それでも、亡くなってもなお
父は教育者として私たち家族に
教えてくれました。
こんなに沢山の方々が
残された私たちを心配し
励まし、力になってくれようと
していることを
私たち家族は、もう思い残すことはありません
死ぬまで教育者でした父に感謝するとともに
お越しくださいました皆様に
感謝の気持ちを込めて
遺族代表のお礼の言葉に代えさせていただきます
平成27年3月23日
遺族代表 Qちゃん」
滞りなく無事に終わりました
お天気にも恵まれ
予想外にたくさんの
会葬者の方々にお越し頂き
持ちきれないほどの
お花の山に心からの
感謝の気持ちでいっぱいです
今日は、東京から
帰ってきてくれていた
弟くん夫婦を見送り
父がお世話になっていた
施設の片付けに行ってきました
最後に遺族代表挨拶で
話させていただきました内容を
思い出せる限り記録して
父に関する日記を
終わりたいと思います
(本番はところどころ飛ばしてしまいましたが^_^;)
「小学校の教員だった父は、死ぬまで教育者でした
子どもの頃は、自分の参観日や運動会に
来てくれない父に寂しい思いもしましたが
それでも、家に帰ると私たちきょうだいに
アマガエルのお土産を持ってきてくれたり
一緒に歌ったり踊ったりギターを弾いたり
ハーモニカを吹いたり、ノンビリ晩酌したりと
とても優しい父でした。
そして明け方になると、父の部屋からカリカリと
毎朝ガリ版の音がするのが常でした
教頭・校長になってからは
その忙しさにも拍車がかかり
年の離れた弟は少し寂しい思いもしたかもしれません
その分、父の60歳の誕生日に家族みんなで
こっそり計画した還暦サプライズパーティでは
「これからはおまけの人生、家族に感謝して生きます。」
と、言ってくれました
その言葉の通りなのかどうなのか?
退職した3年後の2006年5月31日一回目の小脳出血
家族みんなを呼び寄せ、一緒に心配させてくれました
まだ小さかった孫たちには、毎日の病院通いでも
病院の窓際で立って宿題が出来ることを
教えてくれました。
退院後は自宅で自分なりのリハビリの励み
頑張れば後ろ歩きがまたできるようになったこと
頑張れば片足で立てること
頑張れば失った音感もまた取り戻せること
を家族に教えてくれました
その後も、何度も倒れて
緊急入院しては
家族に心配をかけてくれました
そして2011年4月23日の二回目の小脳出血
人工呼吸器を付け、脳からドレインの管を出し
意識も戻らない姿に家族一同最期を覚悟しましたが
それから、意識が戻り、徐々に手も動くようになり
片言から言葉も出るようになり、字もかけるようになり
いつの間にか、嚥下も出来るまでに回復してきました
家族がついていたら、食事を出してもイイとの
病院側の言葉に対抗するかのように
一日も休まずに父の食事時間に
必ず家族が誰か付き添って、食事をさせ
そのうち自分でソフト食が食べられるまでになったのは
家族にとってかけがえの無い思い出です。
中学生だった娘がヒトリでバスに乗って
食事の介助に行ったこともありましたね?
家族みんなの悲願でありました
一度、自宅に帰るという夢も
叶うということを教えてくれました
その次の年の誕生日には
大好きだった堀切峠に家族みんなで
ドライブして、オヤツも食べましたね
最期に倒れてから十数回
今夜がヤマかもと
家族全員召集が何度もありました
昨年の夏に誤嚥性肺炎で入院してからも
諦めなければ、まだまだ大丈夫と
治療をするたびに不死鳥のごとく
よみがえってくれました
年末年始も、お正月が迎えられないかも?
と主治医の先生に脅されながらも
諦めなければ大丈夫なことを教えてくれました
それが、今回ばかりは
残念ながら間に合いませんでした
それでも、亡くなってもなお
父は教育者として私たち家族に
教えてくれました。
こんなに沢山の方々が
残された私たちを心配し
励まし、力になってくれようと
していることを
私たち家族は、もう思い残すことはありません
死ぬまで教育者でした父に感謝するとともに
お越しくださいました皆様に
感謝の気持ちを込めて
遺族代表のお礼の言葉に代えさせていただきます
平成27年3月23日
遺族代表 Qちゃん」
2015年03月24日
感謝です
昨日22日に、私の父の通夜を
とどこおりなく執り行うことができました
これからは自宅から葬儀場にうつり
皆さまと一緒に別れを惜しむ時間
子供たちが頑張って
父の思い出の品や写真を
飾り付けてくれました
葬儀場の都合で
広い会場しか空いてなかったので
寂しいかなぁと
家族みんな心配していましたが
予想を反して、会場に
入りきらないほどの
たくさんの方にお越し頂き
本当に感謝しております
最初の受付の列は
二列だったのを慌てて
三列、四列と増やし
慌てて友達にお願い
(有難うございます)
焼香も三列から
五列に慌てて変更です
お花も寂しいかなぁ?と
私と弟で出していましたが
次々に大きなお花が届き
業者さんが追いつかないほどでした
家族としては
本当に有難い誤算
父の偉大さを改めて感じました
本当に有難うございました
とどこおりなく執り行うことができました
これからは自宅から葬儀場にうつり
皆さまと一緒に別れを惜しむ時間
子供たちが頑張って
父の思い出の品や写真を
飾り付けてくれました
葬儀場の都合で
広い会場しか空いてなかったので
寂しいかなぁと
家族みんな心配していましたが
予想を反して、会場に
入りきらないほどの
たくさんの方にお越し頂き
本当に感謝しております
最初の受付の列は
二列だったのを慌てて
三列、四列と増やし
慌てて友達にお願い
(有難うございます)
焼香も三列から
五列に慌てて変更です
お花も寂しいかなぁ?と
私と弟で出していましたが
次々に大きなお花が届き
業者さんが追いつかないほどでした
家族としては
本当に有難い誤算
父の偉大さを改めて感じました
本当に有難うございました
2015年03月24日
行ってきます
皆さま、暖かいメッセージ有難うございました。
ひとつひとつ、じっくり拝読させて頂き
全てが私の励みとなっております。
お陰さまで父との最期の別れを
家族みんなでゆっくりと
過ごすことが出来ました。
有難うございました。
今から納棺して葬儀場に向かいます
ひとつひとつ、じっくり拝読させて頂き
全てが私の励みとなっております。
お陰さまで父との最期の別れを
家族みんなでゆっくりと
過ごすことが出来ました。
有難うございました。
今から納棺して葬儀場に向かいます
2015年03月24日
残念ですが
残念ながら今朝早くに、父が他界しました。
お通夜は明日22日(日)18:30~
本葬が明後日23日(月)13:00~
会場は「青山会館」
宮崎市源藤町東田535-5
0985-53-4187
です。
今までご心配いただき、お世話になりました皆さま、本当にありがとうございました。